12月2日 11月はファミコンページに躍起になってたので、1回も日記書いてなかったので、今日から再び再開しようと思います。
       人にとって夢とは何でしょうか?よく、僕は夢があっていいと言われる事がありますが、どうなんでしょう?夢は確かに人間だけが持ち合
       わせている感情で、他の動物とは一線を画する物です。人に夢と書いて、儚いと読みます。人は感情を持ち得たその時点から、ある種
       儚さを知ってしまったんじゃないでしょうか?どれだけ栄華を誇った家系も、実績を積み重ねても、長い長い時間の中にいずれ埋没はし
       ていきます。しかし、どんな物事も儚い物だと知っているからこそ、人は夢を持ち続ける事ができるんじゃないでしょうか?夢に終わりは
       無く、一つの夢が終わりを迎えたら、また、新たな夢に向かっていく事の繰り返し・・、夢があっていいというものではなく、夢自体には
       何の意味合いも無く、我々人間が勝手に意味を与えているだけに過ぎないと僕は思います。リストラされたけど、暇が出来た、人がどう
       言おうと自分はこれが大好きだ、子供と遊んでいる事が楽しい、何気ない事ですが、その何気なさの中に隠されている自分の感情が
       何より大切なのではないでしょうか。夢を持つ事自体の意味を求めるのではなく、自分が何かを愛する気持ち、そして自分の持つ死生観
       が結局、何かを紡ぎ出していき、それが自然とその人それぞれの夢の意味を作り出していくのではないでしょうか。

12月8日 ドラクエ[を購入してはや一週間・・、実はまだ最初のダンジョンしか突破していない・・。最近、妙に忙しく、落ち着きだした3日前から
      ようやくゲームがいじれるようになった・・。で、やってたのがドラクエじゃなくてFF・・。ゲームボーイアドバンス版のTとUでモンスター図鑑
      コンプリートしようと3日間いじってようやく完成。何が起こるのか期待してやってたが、結局100%にしても何も起こらなかった・・。PS版の
      時は「天野 喜孝」の未公開イラストが入っていただけにちょっとガッカリした・・。しかもゲームボーイ版は追加のダンジョンにまで
      出現率がかなり低いモンスターがいるだけに、苦労はPS版以上。Tだとおなじみデスマシーンやチラノサウルス、アイアンゴーレムと
      いったファミコン版の常連のレアモンスターの他にヤマタノオロチやプロトタイプというモンスターまで追加されていて、こいつらが出現する
      というフロアを2,3時間かけて歩き回っててようやく会えた。Uはラストダンジョンのテツキョジン以外はわりとスムーズに出会え、簡単に
      コンプリート出来てホッとした。ただ、40分かけてようやく会えたテツキョジンに2回連続で逃げられた時は泣きそうになったけど・・。
      ただ、ゲームボーイ版はセーブ出来るデータファイルが3つしかなく、内容のわりに少なすぎたような気も・・。とにかく、これで心のしこりも
      消えたので、明日からまた空いてる時間はマンガを描く方に専念できそう。ドラクエは年末にゆっくりやろうと思います・・。

12月9日 今ごろ知ってしまったが、ドラえもんの声優が4月から一新されるらしい。作者が亡くなってからは内容が気に食わなくなり、ろくに見て
      なかったので、どうでもいいといえば、どうでもいい話ですが、あの、ジャイアンの歌や、ドラえもんの包容力を表現出来る声優が今の時代
      本当にいるのか?とも思ってしまう。藤子・F・不二雄ほど、優しかった漫画家は僕はいないと思っている。それに、これからも二度と出て
      くることのない才能だとも・・。よくドラえもんは夢のあるマンガでとても楽しいという意見ばかり耳にしますが、それはドラえもんの一部を
      捕らえているだけで本当の評価ではない。ドラえもんは、さりげなくかなりのドロドロとした人間の欲望やゆがんだ感情も時に色濃く姿を
      見せる。ギャグでそれらがカモフラージュされているので見落としがちになるが、弱虫ののび太でも、一度ドラえもんの道具の力で
      ジャイアン達より有利な立場に立てば、ガラリと雰囲気が変わる。ジャイアンやスネ夫のいじめにしても、かなり陰湿な物も登場し、実際、
      描いていられたのは30年も昔なのに、現代の少年犯罪に共通している心の弱さや異常心理を先取りしたような内容の物も多々あり、
      単純に夢だけを語っていただけの人ではない事がよく見えてくる。希望もあれば、絶望もあり、夢があれば、歪んだ感情も世の中には
      あることを、全く重さを感じさせずにサラッと描いておられるのは見事!の一言で済むレベルの問題ではない。誰も真似する事の出来ない
      神の境地としかいいようがない。しかしそれも作者が生きている間の話で、亡くなられた後の作品は、出来が悪いわけではないが、単純に
      友愛や夢のみを安易に語ってるだけのレベルにまで下がってしまった。ちょうど、作者が亡くなった少し後、ドラえもんブームが巻き起こり、
      色んな人が見る機会が一時期あったらしいが、この時、ドラえもんグッズや深みの無い内容の映画を見て、「ただの子供だましか。」と、
      思ってしまった人も多数いたらしい。あまりにもったいない話です。サザエさんのように、作品世界を潰さずに継承出来なかったのなら、
      遺作になった「ねじ巻き都市冒険記」で終わらせておくべきだったと思う。散り際もまた大切だと思う。
       昔、西南戦争で政府軍と戦った西郷 隆盛も、政府軍の圧倒的武力の前にもはや成す術がない事を悟り、「おいどん、もうここらでよか。
      と見事な切腹を果たしている。存続させる事だけに意味があるのではなく、散り際や、終わりにもまた意味がある。声優を一新してまで
      生き延びさせる価値があるのかどうか、今一度考えてみないといけないのではないだろうか。

12月9日 昨日、テレビのニュースでやっていましたが、東京の温度がこの季節に関わらず、初夏並みだとか。冬物の服が早速半額セールで
       売られるようになったとかそういうニュースしか聞かなかったが、これはそんな小手先の事だけじゃなく、もっと大変な問題なんじゃ
       ないのだろうか。昔から、地球の気候は何百万年、何千万年の周期で大きく変動してきた。今の季節、いくら地球温暖化が進んで
       いるといっても、この季節に今後1ヶ月、16度以上の日が続くなど考えられないだろう。そうでなくても、今年は地震や台風の被害も
       尋常じゃなかった。この日本列島に何か異変が起こる前触れなのかもしれない。昔、面白い話を聞いた事があるが、神事を行わなく
       なった天皇の世が百年続くと日本は滅びるという言い伝えがあるらしい。神事を行わなくなったのは大正天皇の世からで、2012年が
       ちょうど大正天皇の即位の年から百年目に当たる。あと、マヤ文明の遺産に、暦を描いている物があるらしく、現代に至るまで暦が
       描かれてるらしいが、何故か2012年から先が無いらしい。ノストラダムスの予言は誰でも知っていたが、こっちはわりと知られていない
       このテーマは面白いので、現在、僕が描いている「世界浄化計画」にもこのネタを使っている。人間っていうのは、何かが起こってみる
       時まで、何も分からない生き物なんだろうかと、つくづく思う。

12月12日 昨日、今劇場でやっている「ハウルの動く城」を見てきました。多分「千と千尋の神隠し」よりは内容が落ちてるだろうなぁ、と思っていたら
       意外と面白かった。ただ、主人公のソフィーが呪いでおばあさんにされたり、戦争が色濃く表現されていたり、FF\のブラネ女王に激似
       の「荒地の魔女」など、かなり独特の設定や色濃いキャラが登場するのに、いまいち盛り上がりに欠けていた。設定だけが一人歩きして
       いて、見る人の心を捕らえるまでには行っていない作品だと思った。僕もこれを見に行く前に、見た人から「今回の宮崎ははずれや。
       つまらん。」と聞いてただけに、どんな映画なのか逆に僕の興味心をそそってしまい、見に行った。つまらん、ははっきり言って言い過ぎ
       だと僕は思ったが、前の「千と千尋の神隠し」は、一見、訳が分からない映画のようで、作品内には宝石がそこらに散りばめられてるが
       ごとくのテーマ性や見せ場が数え切れないくらい隠されていたが、今回のハウルは、何もかもが中途半端だった。まるで近代FFを見てる
       ような感覚だった。おそらく、それなりの興行収入は上げるだろうけど、千と千尋の神隠しほどは行かないと思う。僕としては、ハウルと
       マダム・サリバンが一戦交えたり、荒地の魔女にももっと狂った行動を取らせてほしかったし、何より、ソフィーにかけられた呪いは、
       やはり、もっと苦労して、解く方法を見つけてほしかった。荒地の魔女が「とてつもなく捻じ曲がった呪い」と言ってたわりに、ソフィーが
       ハウルと真剣に恋に落ちたことで解けるって、そんなにねじ曲がった呪いだったんだろうか?もっと二人で呪いと戦ってほしかった。
       ただ、作品内に込められているメッセージ自体は良質でやっぱりいい物だったとは思いました。ただ、「千と千尋の神隠し」は僕は
       6回劇場に足を運ぶほど見に行きましたが、今回は1回見たら十分でした・・。こういう感情が働いてしまうのはやっぱり前の作品が
       良過ぎたせいで、おそらく他に劇場に見に行った人も僕と同じ感情が働いているんだと思います。

12月17日 3ヶ月の沈黙を破り、ついに「藤姫偃息図衆」が完成しました。作品中で何度も「愛」という言葉を頻繁に使ってます。愛と一口に
       つぶやかれるとなんか気恥ずかしい気分になる言葉ですけど、人間が生きていく上でこれほど重要な物は無いです。人は決して一人
       だけで生きてはいけません。どんなに一人で気丈に人から離れて行動している一匹狼のような人でもどこかでやっぱり人とつながって
       います。もし、誰からも本当に相手にされなくなった人は、どんな強靭な精神を持っている人間でも心が崩壊してしまいます。
       作品のラスト、九十九は荒神と化し、体がドロドロに溶けながら、自分の中になお残った姫の面影だけに執着して人間にとって有害な
       霊体へと変化していきます。子供の頃から自分を見守って来てくれた彼に「鞍馬」が出来る事は・・。作品はそこで終わります。
       ただ、これは鞍馬自身気づいていない心の奥底では、長年つき合ってきた仲にも関わらず、彼という存在が無かったという皮肉な結末で
       締めくくりました。最近頻発に起こる幼女連続誘拐事件、人に愛された事が無く、それが故に人を、女の子を愛する感情が分からず、
       ただ自我と欲望が異常に肥大化した怪物のような人間像が浮かび上がって来ます。愛とは何なのか、普通恋愛だけに意味がとられがち
       になりますが、愛には色んな形があります。この世知辛い世の中、もっと、愛について考えなければいけない時代なのかもしれません。

12月19日 昨日、ネット上で知り合ったI君と6年ぶりに旧友と再会しました。ネットで紹介していたゲームをいくつか持って披露しましたが、予想
        以上に喜んでもらえて本当によかったです。やっぱり、人間は生のふれあいが大切だと改めて感じます。ネット上や本の上でどんな
        高等な知識を身に付けても、実際にその物事や人物に会ってみないとその魂の20%も自分にはプラスにならない。実際に自分が
        見聞きしたり体験する事によって残りの50%は自分の中に吸収できる。後の30%は自分がその道の頂点に達したり、その人の心を
        本当に理解できた時でしかないと僕は思う。それでももしかしたら、100%には達しきれず、残りの2〜5%は一生かかっても埋まらな
        いかもしれない。どんな人もそれぞれ自分なりの100%と言える価値観を誰しも必ず持っている。いい点でも悪い点でも人それぞれ
        色んな味がある。それらを人から吸収していくのはほんとに自分にプラスになっていく。人のいい点はそのまま自分の味にして、悪い点
        は飲み込まなければいい。でも、それを飲み込んで、その人の心理を知っていくことも出来る。ただ、これには逆に自分がその悪い心
        に飲み込まれてしまわない心の強さも必要ですが・・。どれだけ人間不信で他人と触れ合わないような人間でも、物を食べなければ
        死んでしまう。そういう意味では間接的に農家の人が作った作品から魂をもらっている。人と付き合うのが苦手だったり、喋る事の苦手
        な人は、自分で文章や作品を描いて自分を表現したりするのかもしれない。そんな色んな人達と触れ合うのはほんと面白い。
        そうして自分が学んでいった経験は、いつか自分が昔悩んだ事で悩む人達や、子供達への良き道標となっていく。そうやって人は成長
        していくんだろう。世の中には楽しい事も多い反面、辛い事もそれと同じくらい多い。それらを楽しめるか、辛い事だけを眺めて自分の
        心にフタをしてしまうかは、その人がどれだけ人から知識や魂を吸収できたかで決まる。食わず嫌いをせず、何でも吸収していくのが
        結局自分のためになっていくと、僕は思う。未知の人から色んな話を聞くのは僕にとってほんとに大きな財産になっている。今日は本当
        に面白かった。

12月19日 そういや「藤姫偃息図衆」が完成した12月17日は僕が敬愛してやまない「ロックマン」の17歳の誕生日でもあった。狙った訳ではない
        がなんと縁起の良い・・。思えばゲームの歴史も長い物です。その中にはいくつも消えていったゲームもあれば、今でもリメイク版が
        制作されているシリーズも多数ある。僕の周りには、ドラクエやFFのリメイク版は買わないという人が多い。大半、今風に直されてて
        嫌だとか、また同じ物を作ってアホか、という酷い意見を言う人もいるが、それは大きな間違いだと思う。これらのゲームは昔、制作
        した時は、時間に追われ、不本意の部分があっても改善出来ないまま製品化するに至ったエピソードも多々あったと思う。入れたくても
        入れられなかったエピソードも当然山のようにあっただろうけど、容量の都合で省かざるを得なかった部分も多々あったと思う。
        でも、幸いドラクエやFFは高人気を得て、昔の作品をもう一度作り直す機会を得て、そこには、オリジナルとそのリメイク作品が作られ
        るまでに製作者が経験してきた価値観でまた新たに町の人や、敵キャラの性格を描きなおしている。ゲームバランスが改善されるのも
        当然の話だろう。よく勘違いをしている人がいるが、FFならどう考えても自分が戦うべきでない場所に強敵が登場したり、長すぎる
        ダンジョン、これは今ではどこでもセーブ出来ることやキャラのレベルの上がりやすさでカバーしてあって、ドラクエUでもサマルトリアの
        王子の装備できる武具を増やしたり、敵の落とす経験値を増やす事によって、レベル上げの負担をやわらげる事で遊びやすくなって
        いる。これをヌル過ぎる、昔の良き味がなくなった!と叫ぶ知り合いが何人かいますが、それはまだファミコンが発展途上の段階で、
        「ゲームバランスの悪さ=クリアするのが難しいゲーム」という構図が否応なしに出来ざるを得ない状況であって、そこから様々な
        試行錯誤を重ねてきた上に進化してきたゲームのリメイク版にそのゲームバランスの悪さを再び求めるのはナンセンスだと僕は思う。
        リメイク版は、ほんと、ファミコンの時からのまんまの焼き直しもあれば、ドラクエやFFのように、グラフィックのみならず、ストーリーや
        ゲームバランスに手を加えなおしてあるのもある。僕はどっちかというと、まんまの焼き直しより、再び作り直しているリメイクの方が
        好きです。そこからは、例え、同じ流れの作品でも、新しい息吹を感じて再度楽しめる。人は昔を懐かしむ事はあっても、昔に後戻り
        してはいけない。そこには変化も無く、何か新しい物が生まれる事もないからです。昔、織田 信長を本能寺で打ち倒した明智 光秀は
        再び世の中を室町幕府が日本を統一していた時と同じ仕組みに戻そうと考えていましたが、誰もそんな物に賛同する物はいません
        でした。昔に学ぶ事はあっても、まるまる昔に後戻りしてはいけないのです。儚く、寂しく思う気持ちは僕も理解出来ますが、時間は
        常に未来に向かって流れています。後戻りという選択肢は無いのです。
          僕が持っているリメイクソフトの中で一番のお気に入りはゲームボーイアドバンスの「ファイナルファンタジーT・Uアドバンス」です。
        これにはTの方には「ソウル・オブ・カオス」というFFV〜Yのボスが総勢16体登場する追加ダンジョンがあり、金のリンゴや赤い牙
        といった歴代FFのレアアイテムや武具も数多く登場し、今までのFF作品を振り返った総決算的な意味合いで作られた感じがする
        ゲームです。でも僕はUに追加されていた「ソウル・オブ・リバース」という追加シナリオの方が好きでした。これはUをクリアした人なら
        分かりますが、物語中で儚く命を落としたミンウ、スコット、ヨーゼフ、リチャードの4人が、死の世界で目を覚まし、自分達がいる世界は
        地獄なのか天国なのか、まだ自分達には成すべき使命があるのか謎を突き止めるため、謎の世界を冒険します。その旅の終着点で
        彼らが見たものは・・。シナリオ自体はかなり短いシナリオですが、内容の濃さは本編にヒケを取りません。これの追加エンディングは
        内容も濃く、彼ら4人の死は決して無駄ではなかったと、素直に感動します。やった事が無い人には是非おすすめします。ただ、本編で
        せめてミンウとヨーゼフはかなり鍛えておかないと、クリアするのが厳しいですが・・。リメイク版とはいえ、一概に全く同じ作品だとは
        言い切れない面白さがそこに間違いなくあると僕は言い切ります。 

12月23日  昔、僕の小学校にはひまわり学級という障害者ばかり集めたクラスがあった。僕は昔、今では考えられないくらい気弱で、クラスで1人
        選ばれるひまわり学級の掃除当番にクラス全員一致でまわされた事があった。僕も嫌で嫌で仕方なく、最初の頃、ひまわり学級に
        行っていた。知恵遅れの子、手足の不自由な子、目が見えない子、色んな障害を持つ子が一般クラスから隔離された場所に3クラス
        ほどあった。そのひまわりクラスの前の廊下は一般クラスの子は誰も通ろうとしない。そのうち、ひまわり学級の子が僕になついてきた
        最初は嫌だと思っていたが、それからは彼らと遊ぶようにもなった。実際、一緒に遊ぶと楽しく、彼らの笑う顔を見るのが楽しみにも
        なってきた。実際、笛の吹き方を僕は教えてあげた時、一生懸命練習して、吹けるようになった時なんかは僕も本当に嬉しかった。
        結局、両親が離婚し、僕はその小学校を5年の時に去ったのだが、あの体験は一生忘れられない。彼らと遊んであげてたという
        見下したものではなく、僕自身が彼らに色んな事を教えてもらっていたからです。今の世の中ほど、自分の飾りづけに夢中で、それ
        以外の大切な物を見ようともしない時代は無いだろう。そんな事は無い、と思う人は今僕が書いた子供達を思い浮かべてほしい。
        学校の作文などでは何度も戦争の悲惨さや彼らを取り巻く現状のフィルムを見せられ、そのたびに感想を書かされてきただろうが、
        その感想は本当に自分の言葉で書いただろうか?作文の内容いかんにまで内申点がつけられ、高校進学のために内申点が欲しくて
        いい事ずくめの文を書き、もしくは書かされていたに過ぎないと僕は思う。正直、僕も彼らとじかに触れ合うまでは近寄りがたい不気味
        存在だと心のどこかで思っていた。他の子も実際触れ合った事の無い子は彼らの事を汚い子だと思っていただろう。そう思っているの
        ならそう思っているでかまわない。それが間違いだと思うなら、学級会などでお互い論議しあえばいい。
        何故学校の作文は自分の思ったとおりの事を書いたら書き直しをさせられるのか高校の頃、真剣に
        悩んだ事があった。実際、1日だけ彼らの学校に行って遊ぶだけという事はやってた事があったが、1日といってもたかが2、3時間程度
        しかも1回参加した奴は大抵2回目は行こうともしない。作文や発表会ではしたり顔で「彼らとの交流は非常に有意義な物であり、私に
        とってかけがえの無い経験で、また彼らと触れ合う機会があるならば、是非参加したいと思います。」お決まりの感想文、そこからは
        彼らと触れ合って何を得たのか語られている事はまず無く、オマケに2回目の時、おんなじ奴が参加する事はまず無い。
        戦争の悲惨さを訴えたビデオを見せられるというのもよくやるが、僕は実際に祖父と戦争問答をした事が何度かあった。しかし僕が
        祖父に勝てた事はついになかった。学校の戦争ビデオでは沢山の人が無惨に死ぬ戦争はダメだ、ぐらいの知識しか得られないが、
        祖父は本当に色んな事を教えてくれた。当時、アメリカ軍は国際法を無視して日本に戦争を仕掛けてきた事、沖縄の集団自決なども
        そんな国際法に違反した連中が何をしてくるか分からない恐れから皆、死んでいった事、軍医をしていた経験の観点から色んな事を
        教えてくれた。後にゴーマニズム宣言というマンガを読んだ時、祖父の語った事と全くよく似た事例が書かれていて、祖父が正しかった
        事を僕も確証した。50年前の戦争の事さえ知らない人間に戦争の悲惨さを語る事なんて出来はしない。これさえも戦争が悲惨でした、
        と書いておけばそこそこの内申点は得られる。もはや会社の中の一般常識のテストも形だけのようなもので、一般常識が欠如している
        人間を僕も山ほど見てきた。陰湿化していくいじめ、常軌を逸した犯罪、これらは実体の無い飾りだけを追い求め続けてきた日本人が
        生み出した副産物に過ぎない。これらの犯罪に驚く人も多いが、驚く事態などではない。これからもどんどんこんな事件が増えていくと
        思う。本当に出来る人間は自分を必要以上に飾らない。失敗は素直に認めるし、何よりその人の目線と同じ位置に立つ。
          常識も本当に大切なのは人様に迷惑をかけないという事。学歴や経歴といった物も本来は自分をさらに高めるための物だが、
        飾りの部分だけが一人歩きしている人の多い事・・。本来の役割を失った物に価値などありはしないと僕は思う。

12月23日  今日、ひさびさにカラオケに行った。珍島物語を歌おうと思って番号を入れたら「チンチンマンマン」という歌が間違って入ってしまった。
        歌ってる歌手の名前は「オナニーマシーン」!どんな歌か滅茶苦茶興味が湧いたので、消さずにそのまま歌ってみた。その歌詞の
        すさまじい事。あまりに面白い歌詞だったので思わず書き写してきてしまった。連れも皆大笑い!!

マンマンチンチンマンマン

チンチンマンマン大好き

マンマンチンチンマンマン

チンチン大好きよ

マンマンパンツの中にある

マンマンチンチンマンマン

○れろ早く

マンマンチンチンマンマン

○け早く

マンマン手に入れたぜ

かわいいおいらのマンマンマン

マンマンおいらのもんだ

かわいがってあげよう

マンマンパンツの中にある

マンマンチンチンマンマン

○れろ早く

マンマンチンチンマンマン

○け早く

パンツの中にゃ

そこにはいつも

世界一の○○○

おいらのもんだ

○を吹かせろ

かわいいおいらのマンマン

         このオナニーマシーンという人の他の歌もカラオケに入っていたが、どれもタイトルがものすごい。「恋のABC」、「ドーテー島」、
         「チンチンモミモミ」、「あの子がチンポを食べてる」など、18禁になってないのが不思議な歌ばかり。歌詞もどれもものすごい。
         1回聞いたら絶対忘れないものすごいインパクトを含んでいる。家に帰って来てから、ホームページを持っていないかと思って検索
         したら案の定出てきた出てきた。古い歌手かな?と思って見ていたら、意外や2003年、メジャーデビューを果たしたグループだった。
         CDも何枚か出しているらしい。やっぱり歌詞があまりにアレなので発禁になったCD等もあるらしく、ますます面白い。しかも、AV監督
         もやってたり、面白い経歴を持っている。また面白いクリエイターを知ってしまった。

12月25日   昨日でいちおう経理の勉強に一区切りがつきました。これからの事を考えるとまだまだやらないといけない事は山ほどあるんですが、
         僕は元来マイペースな方で、自分なりにボチボチやっていこうと思ってます。最後に、クリスマスにちなんで面白い話をしてくださった
         のでここに書いておこうと思います。毎朝、86400円というお金があなたの銀行口座に振り込まれます。そのお金は口座にそのまま
         残しておいても明日になるとまた残高が0になり、その上にまた新たな86400円というお金が振り込まれるというお話でした。あなた
         なら、そのお金をどう使いますか?という問いで締めくくられましたが、当然、誰でもそれならその日のうちに引き出して、使い切り
         ますよね?そのとおり、このたとえ話の指しているのはお金に例えた時間のお話だったのです。1日のうちに人間は86400秒という
         時間を与えられます。その時間は1日が過ぎれば二度と戻っては来ないというお話です。1週間という時間の大切さを知りたかったら、
         雑誌の編集者に聞いてみてください、10分の1秒という時間の大切さを知りたければ銀メダルに終わったオリンピック選手に聞いてみ
         てください、時間の大切さが分かるはずです、というお話でした。とても興味深いお話で、僕も楽しく聞かせていただきました。
         そもそも、クリスマスというと、presentという言葉を誰でもすぐ思い浮かべますけど、このpresentという単語には贈り物という意味の
         他に、現在という意味も含まれているそうです。その意味合いにちなんで、今という時間を大切に生きていこうという意味でこのお話を
         述べてくださりました。このお話1つだけでも、ここに勉強に来てよかった、と深い感銘を受けました。僕もクリスマスというと、夜中に
         恋人同士で歩くラブロマンスっぽい事や、独特の神秘的なムードがいいなあ、っていう感覚くらいしかなかったんですが、そういう意味
         クリスマスっていう日の見方が変わりますね。今、現在の自分を再び見直す日、自分のあり方を見直す日、これをテーマにしても
         マンガが1本描けそうです。知ってる言葉、ありきたりだと思ってる言葉でも見方を一つ変えるだけでこんなにも違う意味も見えてくる
         んですね・・。僕もまだまだ未熟だなあ、としみじみ思う。もっと色んな事を知ってみたい。知って、いつかそれを誰かに伝えて残して
         いきたい。僕は自分が死ぬ時は眠るように死にたいと思っている。あれこれやり残した事を言い残したり、この世に後悔する事など
         残さず、ただ、いつも眠るように死んでいきたい。その為にも、今この瞬間を大切にしていこうと思う。

12月31日   今年もあと2時間半で終わります。僕にとって今年は今までに無いくらい実り多い年でした。今まで、結構、仕事一辺倒でやって来た
         方で、帰って来て暇な時間はなんかゲームをやって過ごし、また明日の仕事に備えて寝る、といった毎日をずっと続けてきていただけ
         に、ホームページを立ち上げて色んな人と知り合ったり、もともとの夢であった古本屋創業に向けての勉強の為、色んな古本屋さんに
         お話を伺いに行ったり、経理の勉強を通じて色んな職業経験を持った方に色んな価値観を話し合ったりするのはほんとに有意義な
         時間であり、楽しかった。まだまだ自分の思慮の無さを思い知らされる事だらけで、もっと頑張らないと、と闘志が燃え上がる。
         よく、20歳を過ぎたらもう何かを覚えるには遅いという人がいるが、それは言い訳だと思う。確かに、何かの分野で人並み外れる
         能力を獲得するのは難しいかもしれないが、真剣にやれば、人に後ろ指を指されない程の物はどんな年齢でも掴んでいける。
         年齢が一定を超えているから、私にはこれは出来ないと言うのは、その人がその分野に興味を持っていないか、はなからやる気が
         無い時の言い訳程度の言葉でしかない。覚えは確かに僕も学生の時より悪くなっていっているのは自覚しているが、それをやり続け
         、目標に向かうことに年齢の差など関係が無いと思う。やる気が無い者は、学生の時からすでにやる気なんか持っていない。
         来年も今年以上に実りの多い年にしていきたいと思う。くさいセリフかと思われるかもしれないけど、思い続ける、物事を継続させる事
         は不思議な力を持っている。わずかでもいい、自分が少しは成長できたと思ったら人がどう言おうと自分の中では何かが変わってい
         もので、そういった積み重ねがいつか人をあっと言わせる物になっていくのだと僕は思う。

 

 

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