2005年1月7日 新しい年が明けて早くも1週間。月日が経つのが早い物だとこの頃ひしひしと感じるようになってきた。どうも、年を取ると、年月の
          流れを段々早く感じていく物らしい。現体験中の時間は常に過去の時間と総和されて感じる物らしく、年月の早さはどんどん感じて
          いくんだろうな…。光陰矢のごとしとはよく言った物だと思う。そう考えると時間という物はとても大切な物だとつくづく感じる。今年も
          1年、貴重な時間を大切にして頑張っていきたいと思う。

2005年1月11日 昨日は地元の東福寺で毎年成人の日にやっている七福神巡りに行って来た。ご存知の人も多いだろうが、弁財天や寿老人など
          七人の福を授けてくれる神様がそれぞれ個別に奉ってあるお寺を一つ一つ歩いて拝んでいく行事です。他の地域の物はどんなの
           か知りませんが、昨日一緒に行った神戸の知り合いが「京都の人がさっきから言ってる番外さんって一体なんなの?」と質問して
          きました。僕もお寺マニアではないので詳しい事は分からないですけど、京都の七福神巡りにはメインの七福神の他に源平合戦で
          有名な「那須与一」や中国の「楊貴妃」を奉ったお寺も何箇所かあり、それらを僕ら京都人は番外さんと愛着を込めて呼んでいる。
          そういや、この人が淡路島の方(四国だったかな?)にも七福神巡りがあると言ってたが、この番外さんの事を思ったより驚いて
          いたのでこの番外さんは京都だけの物なのだろうか?今まで考えてみた事がなかっただけに新鮮な発見だった。今度、ゆっくり
          調べてみようと思う。

2005年1月11日 今日から本格的に就職活動!!昔は職安に通い続けるかとらばーゆ等の雑誌を立ち読みして探してたものでしたが、今はネット
           でも24時間探せるので便利な物になった。僕の場合、古本屋を開業するという目的もあるため、ネットサーフィンをしてそういった
           人達と家にいながら交流できる点はほんとに大金をはたいてパソコンを買ったかいがあったと思う。もともとインターネットという
           のはアメリカの軍事目的のために作られた物らしいが、これを一般に普及させた人は誰だか知らないが、天才だと思う。こんなに
           便利なインターネットだが、やっぱり生の情報にはかなわないとも思う。古本屋さんにしても、僕も数々の人とメールで交流して
           色々と有益な情報を提供してくれる人達がいるけれど、自分で足を運び、手伝わせてもらったり、直接お話を聞かせてもらうのと
           比べてみたら、やっぱり生で聞かせてもらう話や体験の方が印象に残る。僕も以前働いていた職場で、倉庫の整理をしていた時、
           ネズミの巣やら長く使ってない箱の中からはゴキブリの死体や開封済みの卵、フンやらが思いっきり出てきて四苦八苦した覚えが
           あった。これと同じような事をある古本屋サイトでも書かれていたが、この気持ち悪い体験談も実際に体験した事があると無いと
           では全然意味合いが変わってくる。ネットで情報を集めたり人と交流を深めるのもいい事だと思うが、やっぱり僕は生で人とふれ
           合う事と、経験を一番に大事にしていきたい。ネットではいくら構成がよかったり、饒舌な文章を用いても、生の良さまではどうやっ
           ても表現しきれないからです。ネットで絵をただで見るのと直接画廊へ足を運んで絵を見るのとでは明らかにその絵が見せて
           くれる世界の迫力は100倍は違うし、何より魂の入ってくる量が全然違う。これはマンガ本と生原稿をじかに鑑賞しても同じ事が
           いえますが・・。これからの活動、ネットのいい部分と生のいい部分、双方を使い分けて頑張っていこうと思います。

2005年1月23日 考えてみれば僕がマンガを描き始めてから今年で18年になる。自分で言うのもなんだが、よくやってきたなあと思う。実際にペン
            をとって本格的に原稿を描き始めたのは高校1年の時で、はっきり言って人よりかなり遅かったが、それでも11年になる。
            漫画家になろうと思い、何度か投稿した経験もあるが、今はもうその気はない。一度、蛇巫女を描いた2年前くらいにこれを最後
            に辞めようと思ったことがあったが、今は死ぬまで描き続けていこうと思っている。思えばあの蛇巫女を描いた時が僕の人生の
            一つの転換期だったのだと思う。よく、ずっとその道を追求してる人は1年やってここが自分の限界だと考える人もあれば、
            30年続けても一人前になったとは思えない人もいる。僕はあの蛇巫女が自分の一つの限界だとその時分かってしまった。
            だからプロになりたいと思う密かな夢はそこできっぱり捨てた。失う事は確かに怖いけど、同時に得る物もまたあるものだと
            その時初めて本当に分かった気がした。これから描いていくものが蛇巫女より落ちていくのか、更に向上したものになっていくか
            は全然分からない。分からないから、逆に趣味として続けていく楽しみが出来た。人生ってあなどれない。あなどれないからこそ
            面白いと思う。

2005年1月23日  もう4年前になるが、2年間勤めていた会社が経営不振に陥り、リストラになった覚えがある。仕方のない事だったが、そこの人達
           はいい人ぞろいで、社会人になって右も左も分からない僕を一人前に育て上げてくれた会社だっただけに、ショックが大きかった。
           あの時はショックで何も見えていなかったが、最後、皆名残を惜しんで僕らを送り出してくれた事は今では忘れられない。普通なら
           形だけの送別会をやるか、もっと悪けりゃ何も無しのどっちかだ。その時、僕はすでにあるマンションに1室借りて個別に暮らして
           いたので家賃の問題が出てきて困った。ガス代が払えなくなってガスを止められたこともあった。幸い、すぐに新しいバイト先が
           見つかり、事なきを得た思い出がある。そのバイト先の近くに古い小さい古本屋さんがあった。ずっと立ち寄った事はなかったが、
           ある時探している本があって、案外こういうとこにないもんかな?と思って立ち寄った。思えばこの時この古本屋に立ち寄った事が
           僕が古本屋をしたいと思うようになった最大のきっかけになったと思う。そこは55ぐらいのおばさんが一人で切り盛りしてる
           古本屋さんだった。ざっと店内を見回したが、目当ての本がなかったのですぐ出ようと思ったが、このおばさん、僕にマンガ談義を
           話してきたのだった。それがまたすごく面白く、僕は聞き入って、何も買うつもりはなかったけど、これだけ面白い話を聞いた後に
           は僕も何か買っていかないと、と思って、藤原カムイの「雷火」の1巻を買った。そのおばさんは「お兄さんは本を見る目がある。
           それは邪馬台国を舞台にした冒険マンガでね。その奇想天外なお話と来たら・・。」とほんとに楽しそうに語る。帰りの電車の中で
           パラパラページをめくっていたらこれがほんとに面白い。はまってしまった。それから僕はその会社を辞めた後も場所は遠かった
           が通った。そのたびに雷火を1冊ずつ購入していった。このおばさんの話は面白く、どんどん親しくなっていき、まだ僕も幼かった。
           順調に働いていた会社を辞めるハメになり、一気に先の見えないフリーターになってしまって(今ならそれはそれで楽しいと思って
           いるけど、当時の僕にはそんな心の余裕が全然備わってなかった。)不安でしょうがなかった気持ちを何度癒してもらったか
           分からない。買おうと思えばブックオフなどで雷火の単行本はまとめて手に入れることも出来たが、僕はそこでしか買わなかった。
           その後、11巻まで買った後、僕はまた新しい仕事について、そこがえらい忙しい職場だったので、土、日に出ることもしばしばあり
           ずっとその本屋に行けなくなってしまった。僕は残念で仕方なかったが、同時にそのおばさんには心配をかけるような話も僕は
           よくしてたと思う。去年の夏、自動車免許を取得した後、再びやっと行く事が出来た。1年半ぶりにそこに行った時、そこに古本屋
           はなかった。ただ、表札は一緒だったので、思い切ってベルを鳴らしてみた。家族の人が応対に出てこられて、話を聞いてみたら
           そのおばさんは僕がそこに来る5ヶ月前に亡くなっておられた。ショックだった。家族の人が仏壇の前に快く案内してくれたので
           僕は冥福を祈った。なんともいえない気持ちだった。家族の方が1冊の本と先が折ってある1本のペン軸を僕に渡して
           くれた。それは雷火の僕がずっと買いに来れなかった最終巻と、そのおばさんが愛用しておられたペン軸だった。
           「母がまだ意識がある時に、あの子はいつかちゃんと最後の巻を買いに来るから、商品は全部処分してもこれだけはとっといて
           ほしい。」と息子さんに言伝を残してくれてたとの事だった。僕はそれを聞いたとき、涙が止まらなかった。おばさんは若い頃、
           少女漫画家になりたかったという話もその時初めて聞いた。おばさんは漫画家になる夢を捨てた後も人知れずずっと誰に見せる
           ともなく描き続けておられたという話も聞いた。僕は何度もおばさんに悩みを聞いてもらっていたが、おばさんも僕がマンガ談義を
           いつも聞いてもらえていた事が嬉しくて仕方がなかったらしい。それを聞いて号泣してしまった。その後、そのおばさんが描いたと
           いう原稿も見せていただけた。その作品は絵柄こそは古かったが、その内容は下手なプロ漫画家を遥かに超える素晴らしい作品
           だった。コマ割りも、キャラの感情の自然な流れも、一切の無駄が無く、理屈っぽい内容でもなく、ほんとに読んでて楽しい作品
           だった。継続こそは力だ、という言葉があるが、その時ほどそれを強く実感した事はなかった。蛇巫女で一度ピリオドを打とうと
           思ってた自分の未熟さをまざまざと見せ付けられてしまった。いるところには、隠れた達人級の人がいるのだ。プロになった者
           ばかりが必ずしもすごいわけではない。僕は今、このおばさんのペンで「藤姫偃息図衆」を描いて、各作品の新たな表紙絵を
           描いて、今、「藤姫偃息図衆U」を描いている。僕も漫画家になる夢は捨てたが、マンガを専門に扱う古本屋になりたいという
           新たな目標を同時に得た。訪れる人に色んな作品を紹介できるような古本屋になりたい。また、このサイトももっと充実させたいと
           思ってる。昔、ドラえもんのマンガで、たまたま通ったわき道で、助けた老人が、ボクシングジムのオーナーであったため、その後、
           プロボクサーになった話が載ってた事があったけど、人と人の出会いってほんと不思議だと僕も痛感して思う。人間の運命と
           いうのは、ある程度決まってるものなのかもしれないが、それは自分が変わりたいと思う心、それと、自分が出会った人たちから
           色んな事を学ぶ事。正しい方向に向かって努力すればどんな人でも運命が変えられる。僕はそう思いたい。

2005年1月30日  ついに藤子不二雄デビュー作の「UTOPIA 最後の世界大戦」を買った。まんだらけで300万円の値段がついたので有名な本だが
            僕がてにしたのは当然そんなすごいやつじゃなくて、1991年に出版された中公コミックFFランドの301巻の本です。
           これはすごい。他にも藤子不二雄初期作品が何作か載っていてひさしぶりに時間を忘れてマンガを読みふけってしまった。昼過ぎ
           に読み始めて、何度も読み返しているうちに時計が7時を指していた。ちなみにこの本でも9500円もした。機会があったらまた
           色々と人にも見せたいと思う。周りの兄弟は「よくそんなに読みふけってられるね。」と呆れるが、何のその。僕は基本的に面白い
           と思った作品はその面白さの原点がどこにあるか自分なりに理解できるまで何度でも同じ部分を読み返す。マンガに限らず
           ゲームや小説でも同じ事をやるので、ゲームの場合はさすがにギャラリーが横で寝てたりする。逆にほんとに面白くないと思った
           ものでも同じ事をやってしまう。何がそこまでその作品をくだらないものにしてるか見るためです。いい作品を見ることはいい事
           ですが、その正反対の物を見る視点を持ってる人というのはそれほどいない。しかし本当に面白さを知ろうと思うなら、ただ面白い
           物だけを見ていたり、見た目がきれいなものだけを見ていては見えてこない。明るさの裏には必ず影があり、いい話の裏には
           欺瞞が見え隠れする事だってある。マンガ作品でもそうだが、商品としてのメジャーマンガと、作品としてのマイナーマンガの格差
           がなんか昨今のマンガにはすごい隔たりを感じてしまう。藤子・F・不二雄は「僕がマンガを描いてて楽しいと思い、読者もそれを
           面白いと思ってくれる。それが僕にとっては理想の形なんです。」と描いていた事がある。なんかどんな物事でもえらい二極化が
           激しいと最近つくづく思う。なぜ、藤子不二雄の言うように二つの視点を客観的に見ることが出来ないのだろう?学校の差別教育
           なども同様で、部落の人を差別してはいけない、と判で押したような事を社会人学校でも言ってたりするが、その差別というのは
           一体どこから来るのか、差別する人がいけないと言うのなら、差別してる人の言い分というのがどうも見えてこない。物事を一方向
           からしか見れないというのは物を見る視点をただ狭めているだけでなく、さらなる隔たりを生み出してしまうだけではないか?と
           思う。商品でもあり作品でもあるパワーのあるマンガがこれからも出て来てほしいと思う。 

 

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