しばらくして藤姫を囲っていた濃い霧が晴れ始めた。
藤姫は目を開けた。今までと何かが違う。手足が重くて
自由に動かない。しかし手足は徐々に動かす事に慣れて
きた。岩壁を触ってみると、ごつごつした感触が手を
通じて体を伝わってくる。そのか細い足で大地を
歩いてみる。大地を踏みしめている感触が足の裏より
伝わってくる。今までのように宙に浮くことが出来ない。
それに久しぶりだが何か妙な不快感を体に覚えた。
口の奥で奇妙な感触も感じる。
藤「何かを食したい。それにこの下腹のあたりに感じる
感触は・・。おしし(おしっこの古語)がしたい・・。九十九、
しばしの間後ろを向いていておくれ・・・。」
しばらくして小用を済ませてきた藤姫は感激していた。
「自分は生きているのだ。喉が渇けば水を飲む。お腹が
減ったら何かを食べる。眠くなったら眠る。尿意を感じたら厠へゆく。ただこれだけの事だ。でも嬉しい。私は
生きている。私、生き返ったんだ!!」
魔王「そう・・・、お前には肉体と着物を再び与えた。これで再び子を宿すことが出来る。まずはその体を沐浴して
清めるが良い。さすれば子の体、お前の体に宿し、私は
30年の間お前の力となろう。」
藤姫の願い、それは再び生ある肉体を手に入れ、亡き
双一郎の忘れ形見をこの世に誕生させる事だった。
そして魔王の魂を体内に宿し、その計り知れない叡智で
今の世の全ての原理を知り、里に下りて、子供と共に
何気ない普通の生活をする事が彼女の望みだったのだ
子供を一人前に育て、可愛い孫の顔を見て、そして静かにこの世を去る・・。それが彼女が五百年間求めて
やまなかった夢・・・。
藤「案ずるな。未来。絵里香。お前達の願いも叶えて
やる。いつの世にもいる恵まれぬ魂、私は静かに浄化
しながら生きてゆく。」
藤姫は脳裏に自分が呪い殺した女の顔を浮かべた。
彼女は生きた者への嫉妬から罪無き女を無数に呪い
殺した事がある。未来や絵里香の魂を救おうと思う想い
も藤姫にとって贖罪のような意味を感じているのだろう。
地底に湧く大温泉。そこで身を清めた藤姫は最後の
願いを叶えてもらう準備に入っていた。しかしそこに
鞍馬と留吉がやって来た。
鞍馬「しまった!遅かったわ!」
留吉「もう神がこの世に現れてる!」
留吉は足を震わせていた。歯はガチガチ震えている。
無理もなかった。自分の頭上を覆う不気味な黒い霧、
今まで接したことの無いとてつもない威圧感、そして全てを見透かしたかのような天空に浮かぶ巨大な瞳・・・。
鞍馬はすぐさま藤姫に破邪の弓を向けた。
藤「巫女、私を消し去りに来たのか・・・。」
藤姫は今までに見せた事のないような恐ろしい目つきで
こちらを睨みつけた。
留吉「お嬢様!早くその矢で藤姫を!!」
ふりかかる恐怖に留吉は勝てず、目に涙を浮かべて言った。
藤「魔王よ。私に力を!あの娘の息の根を止めよ!!」
鞍馬は矢を構えた。しかし手が震えてこの体勢を支えて
いるのがやっとだった・・・。恐怖じゃない・・。なぜ、藤姫がここまで自分の子供に執着するのか、今では自分にも
その気持ちが少しは分かるからだ。幸せな生活を
おくっていた二人に突然訪れた悲劇。しかし子供の命
までなぜ奪われなければならなかったのか。藤姫は
罪の無い子供だけは助けたかったのだ。ただそれだけ、
女なら当然持っている母性本能。鞍馬はあの幻の中で
自分の中にもあるその感情があることを知った。
彼女の気持ちが痛すぎる程よく分かる。もはや意志さえ
持たず彷徨っている荒神を討つのとは違う。目の前に
いるのはただ一人の女。鞍馬には矢を射ることが
出来なかった。
藤「どうした、矢を射ぬのか?」
鞍馬「無理・・。私には、撃てません・・・。」
藤「私も出来れば殺したくない・・。しかしこの魔王の力、
もはや私には制御できぬ・・。私の邪魔をする者は
この場で消す。悪く思うな・・・。」
藤姫は魔王の霧より形作られた勾玉の紋様の刻まれた
短剣を手に懐に飛び込んできた!そして鞍馬の腕を
切り付けた。間一髪避けた物の袖が破れ斬られた腕
からは血が溢れ服を赤く染める。
留吉「お嬢様!!大丈夫ですかーー!!」
鞍馬「え、ええ・・。」
鞍馬を斬り損ねた藤姫はすぐに体勢を整えまたも
斬りかかってきた。おそらく藤姫は多少武術の心得が
あるのだろう。
藤「よく避けたわね。でも次は心臓を一刺しにさせてもらうわ。あなたには私の邪魔をしてほしくないの!」
その頃天より京都鞍馬山で起こっている出来事を逐一
見ていた二人の神がいた。天照大神とそのお付の
天上の神官「猿(ましら)」。六百万年前宇宙より飛来した
魔王鞍馬皇神はどこの国々を治める神々よりも古く、
そして地球上のどんな神よりも強大な存在だった。
しかしこの魔王は強大な力を持ちながら地球上のどんな
神々の覇権争いにも加担する事なく、ただ六百万年の間
人知れず京都の山々の中で眠り続け森を育んできた
だけにすぎない。力は持つが何の野望も持たない神。
ところが神話の時代より地球上のどの神もこの神の力を
恐れた。もし、この神が地球の天界を支配しようと
目論んだら・・・。その魔王を自分の管轄の大地に封印
している天照は世界中の神々の注目を浴びている。
もし魔王の封印が解けた事を他国の神が知ればその
力欲さんとする西洋の神々が次々に攻めて来るだろう。
神の力は人々の信仰する心より生じる。天照には海外の
神々を止められるだけの力がない。その最悪の事態を
回避するには今鞍馬山で起きている出来事をもみ消す
しかない。天照は藤姫ともども魔王を地獄の底へ
叩き落す事を考え、呪文を唱えた・・・。
藤「キャアッ!!」
藤姫の足元に亀裂が走った。その亀裂は藤姫を飲み込み地の底へ引きずり落とそうとした。
鞍馬「危ないっ!」
鞍馬は地割れに飲まれそうになった藤姫を助けるため
手を掴んだ。しかし身重の藤姫は思ったより重い。
鞍馬はその体重を支えているだけでやっとだった。しかし
留吉や九十九、未来や絵里香も鞍馬に力を貸した。
藤姫を助けたい一心で・・・。
藤「お・・、お前たち・・・。」
しかし天照は藤姫を助けようとするこの者達に怒りを
覚えた。天よりイカヅチを落とし、無理矢理未来と絵里香の魂を浄化し、留吉と九十九を衝撃で岩壁に叩き突けた
しかし鞍馬はその手を離さなかった。
藤「いや、いやー。死にたくない!グスッ、その手を
離さないで・・。巫女よ・・、私のした事は悪いことだったのか?お前には分からないかもしれないが、グスッ、私は もう一度双一郎様の子供を生み、一緒にいたかっただけ・・。女として愛する人の子供を生みたかっただけ・・・。 何故いけない事なの?私が死んだ身だからか?教えて、巫女・・。グスッ、まだ死にたくないよー、助けて双一郎様・・。助けて、巫女・・・。わあああん!!」
藤姫は涙と鼻水でグショグショになった顔で必死に鞍馬に助けを求めた。しかし天照の容赦ないイカヅチが再び
藤姫を襲った。藤姫はついに力尽き底知れぬ闇の中へ
転がり落ちていった・・・。
九十九「姫様ー!!」
九十九は長年連れ添った主人との思いがけない別れに
号泣した。
助ける事は出来なかったのか。確かに藤姫のした事は
神罰に触れる行為だったかもしれない。自らの願いを
叶える為、乙女達の命も奪った彼女を許してはならないのは理屈として鞍馬にも分かる。しかし事の始まりは
人間同士のしがらみ、大きな運命の流れの中に巻き込まれ振り回された挙句に起こした出来事だった。人は
自分の感情の赴くままには生きる事は出来ない。常に
人の目、世間の目に晒され生きている。藤姫は一度死に
そのしがらみから解き放たれたところで幽霊として生きて
きた。方法はどうあれ人として一番純粋な愛に生きようと
したのだ。鞍馬はその矛盾する感情に憤りを覚えずには
いられなかった・・・。何か方法はなかったのか・・・。
その頃、遥か高天原で大鏡を通じて事の顛末を見届けた天照は笑みを浮かべてこの状況を眺めていた・・・。
天照「人の身の分際で魔王の力を手にし、この世の理に
反する愚か者に鉄槌を・・、いざ、地獄へ・・・。」
召喚した者が消えた以上魔王もまた深い眠りに就く・・。
これで日本の神界を西洋の神々が蹂躙する事はない。
平和は守られたのだ。天照は猿と共にその場を静かに
去った・・。
その後、藤姫が落ちた地獄への穴は何事もなかったように塞がった。落胆に暮れる鞍馬と九十九。魔王も主を
失った今、また地の底へと還っていった。鞍馬はふと頭を
挙げた。何か聞こえる。産声のような声が。鞍馬は
立ち上がり声のする方へ駆けていった。するとそこには
赤ん坊がいて産声を上げていたのだ。鞍馬はその子を
抱き上げた。
「私にない物がある。男の子だ・・。」
月夜「道中気をつけてな、達者で暮すのじゃぞ。」
鞍馬「ここまで私を育ててくださって有難うございました。
月夜様もどうかお元気で・・・。」
月夜「よいか、留吉、たぬ兵衛。鞍馬の事任せたぞ。」
たぬ兵衛「学校の勉強は私が一からお教えします。家計の方も私が取り仕切りますのでご安心を。お嬢様が
一人立ち出来るその日が来るまで責任を持ってお守り
いたします。」
鞍馬は街に下りる事にしました。自らの知らない事を
知るため、山で生きるべきか街で生きるべきか己の
運命を見据えるために。藤姫の残した忘れ形見、「翔」と
名づけられた弟とともに。
鞍馬「月夜様・・・。本当はずっと皆と一緒にいたいんです
でも今は行きます。そう心に決めましたから。」
月夜「もう分かった。さっさと行け!」
鞍馬「はい、またいつの日かお会いできる日を楽しみに、
さようなら。」
その定まらぬ心を定めるために、そして、生きていくために鞍馬は仲間と共に山を下りていったのであった。
現代妖怪絵巻 京 鞍馬
完
あとがき
400文字原稿用紙何枚分ぐらい書いたんでしょう?
とにかく疲れました。最初、2日もあれば30pぐらいの
文章なら書けるだろうとタカをくくってたんですが甘かった
5日かかっちゃいました。さて、面白かったでしょうか。
僕は毎年、年に1,2回京都の鞍馬山にお参りにいくん
ですがちょうどこの作品を描いた年、この山を舞台に何か描けないかなと思ったのがきっかけでした。この鞍馬山、源 義経が天狗に剣術を学んだとか、六百万年前、
宇宙から蒼い流星が落ちてきたとか、宇宙を信仰対象に
してるとかとにかく面白い山なんです。少し離れた所には
貴船山があり、縁結びの神様であり、丑の刻参りのメッカ
とも呼ばれる貴船神社もあり、その怪しさが管理人は
最高に好きです。ちなみに管理人は妹と共に幽霊らしき
物を見たことがあります。ちょうどその頃この山で身元
不明の自殺者が見つかったというニュースを2週間後に
聞き、もしやあの時見たのは・・・とも考えました。
とにかくこの山、怪しい事は確かです。その怪しさをテーマに描いてみたつもりです。実はこの作品、僕の作品と
しては珍しく話の全体像を全く考えず、いきあたりばったりで描いてたので話を全体として見ると分裂していて、
つぎはぎだらけの内容になってしまっていたと思います。藤姫も描き始めた当初は考えてもいなかったキャラで、訳の分からない妖怪を巫女が次々に倒していくだけの漫画だったのですがそれだけじゃこの漫画の趣旨もなにもないのでとりあえず冒頭に登場させといたら後でなにかしら使える
だろう程度にしか思ってなかったキャラでした。18pの天照や猿も登場させてそれらしい事言わせといたらなんとか最後の方でまとめたらいいかな
ぐらいのキャラでした。うまくまとまって本当よかったです。ラフにつくった藤姫が今ではとてもいいキャラに育ってくれてますし漫画って本当に
面白いものですね。
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